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喜界島には32の集落があるといわれており、各集落に独自の特色があります。
このコーナーでは、毎回一つの集落にスポットを当て、各集落の特色・見どころなどをご紹介していきます。


湾集落

  湾集落の特徴

 湾集落は島の重要港(湾港)・空港から程近く、古くから島の中心地として栄えてきました。 近年は大型商店、飲食店等の多くが、空港通りへ移動しつつあり長い間、島の商業中心地であった湾商店街も昔程の賑わいは無くな りました。それでも湾集落は町役場や金融機関、多くの商店や飲食店が軒を連ねる島の政治・行政・経済の中心地である事に変わりはありません。

  湾のココがオススメ!

 ■御殿の鼻(ウドゥンバナ)


 1466(文正4)年、喜界島は大島諸島(奄美、徳之島、与論、沖永良部、喜界)の中で唯一琉球王国への忠誠を拒み続けていました。 これに対し、当時26才の尚徳王(琉球国王)は自ら軍を率いて喜界島討伐に乗り出しました。 湾漁港側の高台にある「御殿の鼻」は尚徳王が率いる兵2千余、軍船50余隻を最初に島民が迎え撃った場所だと伝えられています。


関連リンク : 喜界島の歴史・文化 [ 御殿の鼻(ウドゥンバナ) ]

 ■代官所跡・代官合祀之墓


・代官所跡
 薩摩藩政時代は過酷な労働と上納を強いられ、島民にとっては最も悲惨な時代だったといえます。 その藩政時代に代官所が置かれた場所は、湾商店街の一角にあります。

・代官合祀之墓
 代官として喜界島に派遣され、亡くなった人々が安置されています。 以前、この辺一帯に点在していた墓を昭和14(1939)年、当時の湾小学校の末広校長が合祀しました。

 ■村田新八修養の碑・屋敷跡


 村田新八は幕末・明治維新に活躍した薩摩藩士です。 文久2(1862)年、島津久光の命による島流しで、西郷隆盛は徳之島、村田新八は喜界島へと流されました。 村田の島での生活の拠点でもあった屋敷跡は湾小学校の側にあり、その敷地内には「村田新八修養の碑」が建てられています。


関連リンク : 観光ガイド [ 村田新八修養の碑・屋敷跡 ]

 ■高千穂神社


 湾集落を見下ろす高台(天神山)に立つ神社。
廃仏毀釈後、明治3年(1870)年に信仰の対象を失った島民のために建立されました。
御祭神はニニギノミコト。初詣には多くの参拝客で賑わいます。

  湾集落今昔

 ■買い物風景


 古くから島の中心地として栄えていた湾集落は今も買物客等で賑わいます。
昭和初期頃の湾集落での買い物風景(左)。当時は履物を履く人は殆どなく、皆裸足です。湾を歩く時だけ草履等の履物を 履く人もいたそうで、当時の島民にとっては目一杯のオシャレが必要なステータスが高い土地だったのでしょう。 (右は現在の湾商店街。)

 ■喜界バス


 湾集落には喜界バスの始発・終点でもある「喜界バス営業所」があります。
左は昭和初期〜中期頃、町営の路線バス。右は現在の路線バス。 たまにはのんびりとバスでの旅もオススメです。


関連リンク : タウン情報 [ 喜界バス営業所(キカイバスエイギョウショ) ]

 ■湾漁港付近


・湾漁港(わんぎょこう)
 写真右は現在の漁港付近。 湾漁港は数年前まで喜界島最大の祭り、喜界町夏祭り(現在は中里の多目的広場で開催)の舞台でもありました。 「喜界町夏祭り」は元々この場所での海祭りが起源なのだそうです。

・伝馬船(てんません)
 昭和中期頃までは鹿児島行きの大型船は着岸出来ず、今の湾港沖に停泊し、そこまで伝馬船(20人乗りぐらいの小舟)を何度も往復させ、人・物を運びました。写真左は伝馬船で人や物資を運ぶ様子。

  湾集落の観光案内

 ■シマあるきガイド


 湾集落を更に詳しく知りたい方は、よんよ〜り喜界島による観光ガイド(湾コース)がオススメです。湾集落をゆっくりと散策できます。

シマあるきガイド受付 : 観光協会ホームページ

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