遺跡

大宰府とのつながりが推測される城久遺跡群をはじめ、今も様々な遺跡が発見されています。中には従来の解釈では解明できないものも多く、日本の歴史の最先端ともいえます。

総合グラウンド遺跡

島内で最も古い縄文時代の遺跡です。
昭和47年から縄文時代後期を示す遺物が主に発見されていましたが、平成13年に総合グラウンドから約300メートル南にある砂を採取した跡地の斜面に3層の貝層が露出し、その下層からほぼ完形に近い2つの砲弾型をした土器が見つかりました。
 土器に付着した煤からの放射性炭素年代値は約7,000年前だったことなどから、縄文時代前期の遺跡であると考えられています


城久遺跡群

喜界島は、周囲約48kmの小さい島ながら縄文時代や古代~中世の遺跡があわせて150ほどあります。その中でも城久遺跡群は、10世紀~15世紀の喜界島を代表する遺跡といえるでしょう。奄美大島が見渡せる高台に立地し、遺跡からは白磁やガラス玉、徳之島で焼かれていたカムィヤキ、役所の跡等限られた場所でしか見つからない越州窯系青磁などが見つかっています。当時、城久遺跡群は奄美・沖縄諸島にとどまらず広く東アジアの交流に重要な役割を果たしていたのではないか、などと考えられています。


手久津久地区の遺跡群

喜界島の南東部に位置する手久津久地区集落周辺には崩り(くずり)遺跡、川尻遺跡、中増(なかまし)遺跡、川寺遺跡の4遺跡が立地しています。  川尻遺跡では用途不明で他での発見事例もない縄文時代後晩期頃の大型円形土坑が約1,300平方メートルの範囲の中に約50基発見されました。子ウマが埋葬された近世の遺構も見つかりました。  崩り遺跡では12世紀代の製鉄関連遺構が発見されました。川尻・中増遺跡では鎌倉から室町時代の溝状遺構や10,000基超のピット(穴状の遺構)が発見されました。また、これら周辺では鹿児島県以南では事例のない琥珀が発見されています。


荒木地区の遺跡群

喜界島の南部に位置する荒木集落周辺にはカ子テ(かねんて)・荒木貝塚・クマテ・桑マシ・上才(うぃぜぇ)・ケブラノコシ・ケブラノ前遺跡が立地しています。 遺跡面積は全体で約250,000平方メートル。平成26年度から本格的に始まった発掘調査では大規模な縄文時代後・晩期の遺跡であることがわかり始めています。

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