歴史文化
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特攻花(とっこうばな)
大平洋戦争末期、喜界島から飛び立つ若き特攻隊員に島の娘たちが情をこめて贈ったテンニンギクの花束の種子が落ち喜界空港周…
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雁股の泉
保元の乱に敗れた源為朝が琉球に渡ろうとした際に時化に遭い、喜界島の沖合いを漂っているときに、島に住人がいるかどうかを…
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天女の羽衣(てんにょのはごろも)
むかしむかし、天女は伊実久(いさねく)集落近くの三原(さんばる)へ降り立ちました。 そこから坂を下り志戸桶の村に入った天女…
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ウラトミ・ムチャカナ母娘の伝説
その昔、奄美の加計呂麻島(かけろまじま)の生馬(いけんま)という村に、ウラトミ(マシュカナともいう)という、それはそれは世…
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戦闘指揮所跡(せんとうしきしょあと)
太平洋戦争後期、現在の空港周辺は沖縄の敵艦隊へと向かう特攻機が整備・給油を行うための中継飛行場となっていました。この…
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ノロとユタ
ノロ・・・ 琉球では古くから功労のあった者をその地方の行政上の長官に任命すると同時にその妻、 姉妹をノロ(祝女)に任命…
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勝連屋敷跡(かつれんやしきあと)
15世紀の中葉、琉球領内において勢力があった勝連の勢力が喜界島に進出していて この屋敷に勝連親方が住んでいたと伝わってい…
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御殿の鼻
1466(文正4)年、喜界島は大島諸島(奄美、徳之島、与論、沖永良部、喜界)の中で唯一琉球王国への忠誠を拒み続けていました。 …
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平家森
1202年、平盗盛を主将とする平家の残党200余名が志戸桶の「沖名泊」に流れ着きました。上陸後は源氏の追っ手に備えて陣地を作…
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掩体壕(えんたいごう)
太平洋戦争末期、現在の喜界島空港周辺は沖縄の敵艦隊へと向かう特攻機が整備・給油を行うための中継飛行場となっていました…