爆弾釣鐘(ばくだんつりがね)

大平洋戦争後、喜界島・奄美群島は8年間、米軍の統治下にありました。
米軍統治下時は自給自足の生活となり、特に金属製品は物資が不足したため、戦時中に使用されていた戦闘機は鍋や釜などの生活用品になり、爆弾の中の火薬はダイナマイト漁で使用するダイナマイトに、胴体は釣鐘などに使用されました。

基本情報


住所鹿児島県大島郡喜界町佐手久

アクセス


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