歴史文化
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村田新八修養の碑・屋敷跡(むらたしんぱちしゅうようのひ・やしきあと)
村田新八は幕末・明治維新に活躍した薩摩藩士です。文久2(1862)年、島津久光の命による島流しで、西郷隆盛は徳之島、村田新…
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爆弾釣鐘(ばくだんつりがね)
大平洋戦争後、喜界島・奄美群島は8年間、米軍の統治下にありました。米軍統治下時は自給自足の生活となり、特に金属製品は物…
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ムチャ加那公園(むちゃかなこうえん)
奄美民謡、「ムチャ加那節」で有名なウラトミ、ムチャカナ親子の悲しい物語は喜界島の小野津集落も舞台の一つ。ムチャカナ公…
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御殿の鼻
1466(文正4)年、喜界島は大島諸島(奄美、徳之島、与論、沖永良部、喜界)の中で唯一琉球王国への忠誠を拒み続けていました。 …
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隠れ里(かくれざと)
むかしむかし、志戸桶の天神泊の渚には大きな岩がありました。その岩にいつも牛つなぎをする牛飼いの男がいたそうです。ある…
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石敢当(いしがんどう)
島の各集落のT字路の突き当たりには、多くの「石敢当」 を見る事ができる。そのいわれを島の人は「T字路にはシチーという天…
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五月五日物語(ごがつごにちものがたり)
旧暦の五月五日は男の子の節句です。それにまつわるお話。昔、昔ある村にどケチな男がいたそうです。妻がいると飯を食べ出費…
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震洋格納壕跡(しんようかくのうごうあと)
大平洋戦争末期、喜界島上陸を目的とした米軍艦船に対して250キロ爆弾を搭載し、体当たり攻撃を計画した海軍の木製小型モータ…
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末吉神社の据石伝説
阿伝の末吉神社の境内に大きな岩がありますが、この岩には次のような話が伝えられています。昔、阿伝に一人の漁師がいました…
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聴耳笠(ちょうじがさ)
昔、昔一人の孝行息子がいました。親が病気で家が貧しかったので早町へ働きに出ていました。そんなある日のこと「今日は雨、…