歴史文化
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掩体壕(えんたいごう)
太平洋戦争末期、現在の喜界島空港周辺は沖縄の敵艦隊へと向かう特攻機が整備・給油を行うための中継飛行場となっていました…
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震洋格納壕跡(しんようかくのうごうあと)
大平洋戦争末期、喜界島上陸を目的とした米軍艦船に対して250キロ爆弾を搭載し、体当たり攻撃を計画した海軍の木製小型モータ…
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特攻花(とっこうばな)
大平洋戦争末期、喜界島から飛び立つ若き特攻隊員に島の娘たちが情をこめて贈ったテンニンギクの花束の種子が落ち喜界空港周…
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爆弾釣鐘(ばくだんつりがね)
大平洋戦争後、喜界島・奄美群島は8年間、米軍の統治下にありました。米軍統治下時は自給自足の生活となり、特に金属製品は物…
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シマ唄
奄美民謡はその昔、薩摩藩の圧政という過酷な歴史の中から生まれました。圧政に苦しんだ喜界島の先人は唄うことで苦しみを紛…
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八月踊り
八月踊りはウタシャー(唄者)、テーコタタキャー(太鼓たたき手)、ハトフキャー(指笛を吹く人)、ウドゥヤー(踊り手)で…
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ウラトミ・ムチャカナ母娘の伝説
その昔、奄美の加計呂麻島(かけろまじま)の生馬(いけんま)という村に、ウラトミ(マシュカナともいう)という、それはそれは世…
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隠れ里(かくれざと)
むかしむかし、志戸桶の天神泊の渚には大きな岩がありました。その岩にいつも牛つなぎをする牛飼いの男がいたそうです。ある…
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天女の羽衣(てんにょのはごろも)
むかしむかし、天女は伊実久(いさねく)集落近くの三原(さんばる)へ降り立ちました。 そこから坂を下り志戸桶の村に入った天女…
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トゥンニャー
昔、中里集落に「トウン二ャー」という珍しい行事がありました。シチャミ(節浴)から数えて7日目に、村人達は一重一瓶でナ…