歴史文化
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平家上陸の地
1185年4月25日、壇ノ浦の戦いで敗れた平資盛、平有盛、平行盛らは奄美大島や加計呂麻島に渡る前に、最初に喜界島は志戸桶集落…
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総合グラウンド遺跡
島内で最も古い縄文時代の遺跡です。昭和47年から縄文時代後期を示す遺物が主に発見されていましたが、平成13年に総合グラウ…
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民話・伝説(ウラトミ・ムチャカナ母娘の伝説)
ウラトミ・ムチャカナ母娘の伝説トバヤむちゃ加那物語その昔、奄美の加計呂麻島(かけろまじま)の生馬(いけんま)という村に、…
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トゥンニャー
昔、中里集落に「トウン二ャー」という珍しい行事がありました。シチャミ(節浴)から数えて7日目に、村人達は一重一瓶でナ…
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ソテツ王
今から260年程前、上嘉鉄東に安藤広宗という若者が住んでいました。弘宗の家は貧しく、紙や筆を買うお金もありませんでした。…
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花熟み田(はなうみだー)
昔々、花良冶集落にひとりの男がいました。ある日の夕方、男は田んぼを見回りあぜに立っているとイサンニョウから尾を引いた…
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親子
昔、昔坂嶺のある所に父、母、娘の三人が家族仲良く暮らしていました。その娘さんは両親の願い通り美しく心優しい女性に成長…
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城久遺跡群
喜界島は、周囲約48kmの小さい島ながら縄文時代や古代~中世の遺跡があわせて150ほどあります。その中でも城久遺跡群は、10世…
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芸能
島の人々の楽しみでもある芸能は時代に翻弄された歴史の中から生まれました。シマ唄奄美民謡はその昔、薩摩藩の圧政という過…
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聴耳笠(チョウジガサ)
浦原集落のガジュマル昔、昔一人の孝行息子がいました。親が病気で家が貧しかったので早町へ働きに出ていました。そんなある…