歴史文化
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勝連屋敷跡(かつれんやしきあと)
15世紀の中葉、琉球領内において勢力があった勝連の勢力が喜界島に進出していて この屋敷に勝連親方が住んでいたと伝わってい…
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ノロとユタ
ノロ・・・ 琉球では古くから功労のあった者をその地方の行政上の長官に任命すると同時にその妻、 姉妹をノロ(祝女)に任命…
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石敢当(いしがんどう)
島の各集落のT字路の突き当たりには、多くの「石敢当」 を見る事ができる。そのいわれを島の人は「T字路にはシチーという天…
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御殿の鼻
1466(文正4)年、喜界島は大島諸島(奄美、徳之島、与論、沖永良部、喜界)の中で唯一琉球王国への忠誠を拒み続けていました。 …
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平家森
1202年、平盗盛を主将とする平家の残党200余名が志戸桶の「沖名泊」に流れ着きました。上陸後は源氏の追っ手に備えて陣地を作…
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平家上陸の地
1185年4月25日、壇ノ浦の戦いで敗れた平資盛、平有盛、平行盛らは奄美大島や加計呂麻島に渡る前に、最初に喜界島は志戸桶集落…
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僧俊寛の墓
平安時代に京都鹿ケ谷で平氏(平清盛)討伐を企てた鹿ケ谷の陰謀に失敗し、喜界島に流刑になった源氏の流れの高僧、俊寛の墓…
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荒木遺跡群
喜界島の南部に位置する荒木集落周辺にはカ子テ(かねんて)・荒木貝塚・クマテ・桑マシ・上才(うぃぜぇ)・ケブラノコシ・…
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手久津久遺跡群
喜界島の南東部に位置する手久津久地区集落周辺には崩り(くずり)遺跡、川尻遺跡、中増(なかまし)遺跡、川寺遺跡の4遺跡が…
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城久遺跡群
喜界島は、周囲約48kmの小さい島ながら縄文時代や古代~中世の遺跡があわせて150ほどあります。その中でも城久遺跡群は、10世…