今から260年程前、上嘉鉄東に安藤広宗という若者が住んでいました。弘宗の家は貧しく、紙や筆を買うお金もありませんでした。
しかし、広宗は学問をしたいと言って師匠屋に通っていました。その当時は、紙を買うお金もないのでバショウの葉やクワズイモの葉に文字を書いて学問をしていました。 そんな学問好きの広宗は、もし飢饉がやってきたら食べ物に困り大変なことになるといつも考えていました。ある日、広宗は生活の貧しさを救う為にくり船を操り隣の奄美大島に向かいました。そこで食べた「カユ」の美味しかったので地元の人に尋ねると、それはソテツの実からできたナリ粥(ソテツガユ)であることが分かりました。
このソテツガユの作り方を教えられた広宗は大喜びしました。飢饉の時にソテツで島の人達を救うことができると考えた広宗は、ソテツの実と苗を買ってくり船に積んで喜界島に帰りました。それから広宗は、その実と苗を島の海岸の空き地や荒地に次々と植えました。又、ソテツに実がなると、広宗はもらいに来る人にお茶を出し喜んで迎え、只でソテツを分けてあげたそうです。そして家族には、これでソテツが全島に繁殖すれば、飢饉で食べ物がなくなった時、島の人がソテツで飢えをしのいで助かることができるじゃないかと話していたそうです。
南の島の代表的な植物の一つであるソテツは、私達祖先の暮らしにおいて様々な形で活用されてきました。防風林として役立ったソテツの葉、ソテツの幹、実から作られるおかゆ、みそ、もちなどは非常時の食料として昔の人々の生活を支えてきました。ソテツの姿を見る時、その背景にある歴史、人々の生活の知恵をきっと思い出すことでしょう。