古代から南西諸島の中でも独自の歴史を歩んできた喜界島は中世以降、琉球王国や薩摩藩など周辺の大勢力の支配下に入り、大平洋戦争終了後8年間は米軍統治下に入るという、世界と日本の歴史に翻弄されてきた島といえます。
過酷な状況の中でも、喜界島の人々は逞しく朗らかに命をつないで現代に至ります。
先人たち知恵や歩んできた歴史は、島内の遺跡や史跡、年中行事や芸能として今日まで受け継がれています。
喜界島の遺跡
大宰府とのつながりが推測される城久遺跡群をはじめ、今も様々な遺跡が発見されています。中には従来の解釈では解明できないものも多く、日本の歴史の最先端ともいえます。
総合グラウンド遺跡
城久遺跡群(ぐすくいせきぐん)
手久津久地区の遺跡群
荒木地区の遺跡群
喜界島の史跡
保元の乱で敗れた源為朝、鹿ケ谷の陰謀で流刑になった僧俊寛、壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門にまつわる場所があります。
雁股の泉(かりまたのいずみ)
僧俊寛の墓(そうしゅんかんのはか)
平家上陸の地(へいけじょうりくのち)
平家森(へいけもり)
琉球王朝関連
琉球王朝の侵攻を受け、その支配下に入った後は、喜界島内に5つの間切(琉球王朝の行政区分)が置かれました。
御殿の鼻(うどぅんばな)
石敢当(いしがんどう)
ノロとユタ
勝連屋敷跡(かつれんやしきあと)
薩摩藩政関連
薩摩藩の進攻を受け、その直轄領となったあとは黒糖の重税による苦しい搾取の時代でした。
ムチャ加那公園(むちゃかなこうえん)
村田新八修養の碑・屋敷跡(むらたしんぱちしゅうようのひ・やしきあと)
太平洋戦争関連
現在の喜界島空港は太平洋戦争後期は沖縄へ向かう特攻機の中継基地でした。
戦闘指揮所跡(せんとうしきしょあと)
掩体壕(えんたいごう)
震洋格納壕跡(しんようかくのうごうあと)
特攻花(とっこうばな)
爆弾釣鐘(ばくだんつりがね)
喜界島の芸能
喜界島の民話・伝説
過酷な歴史の中で語り継がれてきた民話や伝説は史実に基づいたものや教訓など様々です。
ウラトミ・ムチャカナ母娘の伝説
隠れ里(かくれざと)
天女の羽衣(てんにょのはごろも)
トゥンニャー
ソテツ王
末吉神社の据石伝説
花熟み田(はなうみだー)
聴耳笠(ちょうじがさ)
五月五日物語(ごがつごにちものがたり)
親子