芸能

島の人々の楽しみでもある芸能は時代に翻弄された歴史の中から生まれました。

シマ唄

奄美民謡はその昔、薩摩藩の圧政という過酷な歴史の中から生まれました。圧政に苦しんだ喜界島の先人は唄うことで苦しみを紛らわせて、過酷な時代を耐えていきました。
ムチャ加那、ウラトミ母子の悲劇を唄った「ムチャ加那節」や、若い男性の悲哀を唄った「塩道長浜節」など、喜界島を舞台にした唄も多く、今なお才能豊かな唄者を多数輩出しています。


八月踊り

八月踊りはウタシャー(唄者)、テーコタタキャー(太鼓たたき手)、ハトフキャー(指笛を吹く人)、ウドゥヤー(踊り手)で構成され、太鼓たたき手が拍子を取り、唄者が唄い、踊り手が唄に合わせ踊りだし、指笛が盛り上げる流れで構成されています。
 喜界島では主に五穀豊穣を願う神社の豊年祭の折に踊られています。島内37集落で唄、踊り方に違いがあり、演目も10曲前後から20数曲と様々です。
 起源については、平清盛によって島に流され、悲劇の生涯を終えた「僧俊寛」の霊を慰める為に、島の人達が輪になって踊ったとされる説、壇ノ浦の合戦に破れ喜界島に流れ着いた平氏盛主従を迎え彼らを慰める為に輪になって踊ったとされる説など様々です。

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