村田新八修養の碑・屋敷跡(むらたしんぱちしゅうようのひ・やしきあと)

 村田新八は幕末・明治維新に活躍した薩摩藩士です。
文久2(1862)年、島津久光の命による島流しで、西郷隆盛は徳之島、村田新八は喜界島へ と流されました。島での生活中、村田は島民に読み書きからトイレの使い方まで教えたと 伝えられています。西郷隆盛からの信望が厚く、赦免された西郷は途中、村田を鹿児島へ 連れ帰るために喜界島に立ち寄りました。その際、西郷をもてなすための宴会を行なった場所でもあり、村田の島での生活の拠点でもあった屋敷跡です。その敷地内には「村田新八修養の碑」が建てられています。

基本情報


住所鹿児島県大島郡喜界町湾

アクセス


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