僧俊寛の墓

平安時代に京都鹿ケ谷で平氏(平清盛)討伐を企てた鹿ケ谷の陰謀に失敗し、喜界島に流刑になった源氏の流れの高僧、俊寛の墓です。喜界島で流人生活を過ごした俊寛は1180年(治承4年)37歳の生涯を喜界島のこの地で終えました。 この地を「ボーズンメ(坊主前)」と呼び、花や線香が絶えることなく供えられています。
墓石の下からは人骨も発見されました。人骨を調査した結果、島外の相当身分の高い人物であったこと、刀傷があったことから、俊寛本人の人骨ではないかと言われています。

基本情報


住所鹿児島県大島郡喜界町湾349

アクセス


関連記事

  1. 雁股の泉

  2. 御殿の鼻

  3. 平家上陸の地

  4. 震洋格納壕跡(しんようかくのうごうあと)

  5. 平家森

  6. 特攻花(とっこうばな)