大平洋戦争末期、喜界島上陸を目的とした米軍艦船に対して250キロ爆弾を搭載し、体当たり攻撃を計画した海軍の木製小型モーターボート、特攻艇「震洋」(通称:マルヨン艇)の格納壕跡です。
この一帯に数か所あった奥行50メートル程の格納壕には、50艇が格納されていたと思われます。
完成直後の昭和20年2月11日には、187人の震洋隊が配置されましたが、米軍上陸部隊が接近することはなく終戦を迎えたため、出撃することはありませんでした。
基本情報
住所 | 鹿児島県大島郡喜界町早町417 |
大平洋戦争末期、喜界島上陸を目的とした米軍艦船に対して250キロ爆弾を搭載し、体当たり攻撃を計画した海軍の木製小型モーターボート、特攻艇「震洋」(通称:マルヨン艇)の格納壕跡です。
この一帯に数か所あった奥行50メートル程の格納壕には、50艇が格納されていたと思われます。
完成直後の昭和20年2月11日には、187人の震洋隊が配置されましたが、米軍上陸部隊が接近することはなく終戦を迎えたため、出撃することはありませんでした。
住所 | 鹿児島県大島郡喜界町早町417 |