史跡
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雁股の泉
保元の乱に敗れた源為朝が琉球に渡ろうとした際に時化に遭い、喜界島の沖合いを漂っているときに、島に住人がいるかどうかを…
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爆弾釣鐘(ばくだんつりがね)
大平洋戦争後、喜界島・奄美群島は8年間、米軍の統治下にありました。米軍統治下時は自給自足の生活となり、特に金属製品は物…
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特攻花(とっこうばな)
大平洋戦争末期、喜界島から飛び立つ若き特攻隊員に島の娘たちが情をこめて贈ったテンニンギクの花束の種子が落ち喜界空港周…
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震洋格納壕跡(しんようかくのうごうあと)
大平洋戦争末期、喜界島上陸を目的とした米軍艦船に対して250キロ爆弾を搭載し、体当たり攻撃を計画した海軍の木製小型モータ…
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掩体壕(えんたいごう)
太平洋戦争末期、現在の喜界島空港周辺は沖縄の敵艦隊へと向かう特攻機が整備・給油を行うための中継飛行場となっていました…
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戦闘指揮所跡(せんとうしきしょあと)
太平洋戦争後期、現在の空港周辺は沖縄の敵艦隊へと向かう特攻機が整備・給油を行うための中継飛行場となっていました。この…
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村田新八修養の碑・屋敷跡(むらたしんぱちしゅうようのひ・やしきあと)
村田新八は幕末・明治維新に活躍した薩摩藩士です。文久2(1862)年、島津久光の命による島流しで、西郷隆盛は徳之島、村田新…
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勝連屋敷跡(かつれんやしきあと)
15世紀の中葉、琉球領内において勢力があった勝連の勢力が喜界島に進出していて この屋敷に勝連親方が住んでいたと伝わってい…
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ノロとユタ
ノロ・・・ 琉球では古くから功労のあった者をその地方の行政上の長官に任命すると同時にその妻、 姉妹をノロ(祝女)に任命…
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石敢当(いしがんどう)
島の各集落のT字路の突き当たりには、多くの「石敢当」 を見る事ができる。そのいわれを島の人は「T字路にはシチーという天…