歴史文化
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僧俊寛の墓
平安時代に京都鹿ケ谷で平氏(平清盛)討伐を企てた鹿ケ谷の陰謀に失敗し、喜界島に流刑になった源氏の流れの高僧、俊寛の墓…
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末吉神社の据石伝説
阿伝の末吉神社の境内に大きな岩がありますが、この岩には次のような話が伝えられています。昔、阿伝に一人の漁師がいました…
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城久遺跡群
喜界島は、周囲約48kmの小さい島ながら縄文時代や古代~中世の遺跡があわせて150ほどあります。その中でも城久遺跡群は、10世…
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掩体壕(えんたいごう)
太平洋戦争末期、現在の喜界島空港周辺は沖縄の敵艦隊へと向かう特攻機が整備・給油を行うための中継飛行場となっていました…
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隠れ里(かくれざと)
むかしむかし、志戸桶の天神泊の渚には大きな岩がありました。その岩にいつも牛つなぎをする牛飼いの男がいたそうです。ある…
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村田新八修養の碑・屋敷跡(むらたしんぱちしゅうようのひ・やしきあと)
村田新八は幕末・明治維新に活躍した薩摩藩士です。文久2(1862)年、島津久光の命による島流しで、西郷隆盛は徳之島、村田新…
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聴耳笠(ちょうじがさ)
昔、昔一人の孝行息子がいました。親が病気で家が貧しかったので早町へ働きに出ていました。そんなある日のこと「今日は雨、…
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震洋格納壕跡(しんようかくのうごうあと)
大平洋戦争末期、喜界島上陸を目的とした米軍艦船に対して250キロ爆弾を搭載し、体当たり攻撃を計画した海軍の木製小型モータ…
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ムチャ加那公園(むちゃかなこうえん)
奄美民謡、「ムチャ加那節」で有名なウラトミ、ムチャカナ親子の悲しい物語は喜界島の小野津集落も舞台の一つ。ムチャカナ公…
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総合グラウンド遺跡
島内で最も古い縄文時代の遺跡です。昭和47年から縄文時代後期を示す遺物が主に発見されていましたが、平成13年に総合グラウ…