保元の乱に敗れた源為朝が琉球に渡ろうとした際に時化に遭い、喜界島の沖合いを漂っているときに、島に住人がいるかどうかを確かめるために放った雁股の矢にちなむ泉です。矢の刺さった場所からこの泉が湧いたとされています。
※保元の乱
平安時代末期の保元元年(1156年)に崇徳上皇と後白河天皇が対立して、上皇側に天皇側が奇襲を仕掛けた事件。この戦いに敗れた源為朝は伊豆大島に流された。
基本情報
住所 | 鹿児島県大島郡喜界町小野津 |
保元の乱に敗れた源為朝が琉球に渡ろうとした際に時化に遭い、喜界島の沖合いを漂っているときに、島に住人がいるかどうかを確かめるために放った雁股の矢にちなむ泉です。矢の刺さった場所からこの泉が湧いたとされています。
※保元の乱
平安時代末期の保元元年(1156年)に崇徳上皇と後白河天皇が対立して、上皇側に天皇側が奇襲を仕掛けた事件。この戦いに敗れた源為朝は伊豆大島に流された。
住所 | 鹿児島県大島郡喜界町小野津 |